RAINBOW SLEEVES

~ミセス・ビーンズの人生劇場~

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ローマの休日 第1話

昨夜、ふとある人の名前を思い出し、ちょっとした好奇心で彼の名前で検索してみた。
彼は雲の上の人になっていた。最初は同姓同名かと思ったけれど、写真を発見。
やっぱり彼だった。
そのあと、思い出をかき集めるかのように脳がフル回転してしまい、なかなか寝つけなかった。
少しずつ彼との思い出を書き残しておこうと思う。
脳を鎮静するために。

私はロンドンのど真ん中にある学校で「ケンブリッジ英検」の受験勉強をしていた。
ある日、同じクラスにはいってきたのがイタリア人で映像の仕事をしているというMだった。
その後、イタリア人の小児科医ユージェニオもクラスメイトとなり、三人は意気投合。
学校が終わると、時間が合えばいつも一緒に遊び歩いた。

彼らはイメージ通りの陽気で気さくなイタリア人。
でも、日が経つに連れ、目に見えて元気がなくなっていった。
「太陽が恋しい。。。」と言っていた。
そうか。ここロンドンの空は灰色だもんな。
人間の精神衛生上、太陽がいかに大切かを痛感した(笑)。

私と違って、彼らは仕事上の英語のスキル・アップのために来ていたので、
わずか数週間の滞在だった。

まず、ユージェニオがベルギーの病院へ。
トリオからデュオになっても相変わらずいろいろと出かけた。

そうそう、恥ずかしながら黒澤明監督の映画を初めて観たのもロンドンだった。
「日本人なのにクロサワの映画を観たことがないの?」と驚いていた。
彼に誘われて「羅生門」を観に行った。
いろいろと細かいことが気になるようで質問攻めにあい、四苦八苦。
前の席に座っていた男性に「うるさい!」と叱られて二人で苦笑い。

彼のお祖父様はかなりのお金持ち。
お父さんは舞台評論家で、お母さんは元女優で写真家、
TV番組も持っていると言っていたっけ。
一度、お父さんが仕事でロンドンに来た時、
スローン・スクエアのパブに出向き、紹介してもらった。
田舎者の私とは大違い、そんな華やかな環境で育ったわりに、
Mは飾り気のない、純粋な人だった。

そして、彼もとうとう帰国。
ソロになってしまった私はしばらくの間、心にぽっかり穴があいたようだった。

でも約束していたのだ。
「夏休みになったら、ローマにおいで。もちろん、ぼくの家に泊めてあげるから。」
お金にゆとりのない私にはうれしいオファーだった。

あいにく、イタリアではサッカーのワールド・カップが開催されていて、
しかも私の入国予定がセミ・ファイナルの日だったので、飛行機の予約が困難だった。
でも、彼の紹介でチャーター便の席が取れ、「ローマの休日」も実現できることに。

本当に迎えに来てくれるだろうか。(イタリア語は全く話せない。。。)
不安な気持ちのまま、ガトウィック空港から飛び立った。
                                            続く。。。
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ローマの休日 第2話

約束通り、Mは空港まで迎えに来てくれていた。
久しぶりに見る彼の表情はローマの明るい日差しの中で生き生きとしていた。

彼はお祖父様が購入してくれたという1LDKに独り暮らし。
LDはかなり広く、調度品も高価そう。
美術学校を卒業している彼らしく、自画像も含め、壁にはたくさんの絵がかけられていた。
中でも大きなチェ・ゲバラの絵が印象的だった。

ローマについたその夜はワールド・カップの決勝前夜。
町は世界中から集まった熱狂的なサッカー・ファンであふれかえっていた。
私たちはカラカラ浴場に向かった。
そこで、三大テノールによるコンサートが行われることになっていた。
ちょうどリハーサルの時間だった。
当然、チケットはなかったので、そのコンサートの模様は帰宅してからテレビで堪能した。

その日、久しぶりに彼のトマトソースのペンネを食べた。
「このソースは本場イタリアの友達に教わったから、おいしいでしょ」
と、私が娘によく言うその「友達」とはMのことである。

次の日、彼はバスや地下鉄の乗り方を教えてくれた。
私の滞在予定は約一ヶ月間。その間中、彼につきっきりになってもらうわけにもいかない。
イタリア語は話せないが、少しずつ覚えよう。
英語がわかる人も多そうだし、なんとかなるだろう。

でも実は1人で動き回るのはとっても不安だった。
ま、もともと弱虫なのだ。他力本願、依頼心が強い私。
やっと実現した「ローマの休日」なのだから、そんなことは言っていられない。
わかってはいるけど、相当気合いを入れないと家の外に出られそうもなかった。。。

そして。。。案の定、
「ごめん。急に撮影の仕事が入ったんだ。しかも撮影は夜中。
   昼夜、逆転するから、ほとんど一緒に過ごす時間がないなぁ。」

彼は当時、アシスタント・カメラマンをしていた。
「ニュー・シネマ・バラダイス」の撮影現場も経験していた。
美術への道か、映像の仕事か、迷っている時期だったのかもしれない。

そんなわけで、彼は朝方帰宅、就寝。
私は日中静かに家で過ごすか、無理して外出。
私が帰る頃には、彼は仕事へ。
そんな毎日がスタートした。
                             続く。。。
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ローマの休日 第3話

巻き毛の黒髪で、彫りの深い顔立ち、長身でがっしりとした体格。
ローマ人のイメージそのもの。
テニスも相当な腕前らしく、十代の頃、ローマ代表に選ばれたこともあったらしい。

仕事が休みの日に海へ出かけた。
ビーチバレーを楽しむ人が大勢いてびっくりした。

ナイス・バディのイタリア人女性の水着姿に圧倒され、
水着姿になれずにジーンズのまま砂浜で寝たふりをしている私を残したまま、
Mはそのビーチバレーを思う存分楽しんでいた。

帰り道、サッカーに興じる若者達を発見するやいなや車を止めて
「ちょっとやってくる」と、またもや行ってしまった。

体を動かすのが好きなのだ。それに運動神経がいい。

「太る、太る」と言いながら、食べたいものを食べ、動こうとしない私に
あからさまな「理解不能」ビームを発していたM。



言うまでもなく、水着になれない私はその後二度と海へは誘われなかった。
                                             続く。。。



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ローマの休日 第4話

Mのお祖父様はたまに家に立ち寄るらしい。
私がローマに着いた日も、Mの大好物のフルーツのタルトが冷蔵庫に入っていた。
「おじいちゃんが買ってきてくれたんだ」と言っていた。

Mのご両親は離婚していたので、二十歳そこそこの独り暮らしの孫を心配しないわけがない。
留守中に家に入れるっていうことは鍵を持っているということ。。。。
わぁ。。。はち合わせしちゃったらどうしよう。。。
「大丈夫。日本人のお客さんが来るって言ってあるから」とM。

結局、滞在中にお祖父様に会うことはできなかった。

「おじいちゃんたちは家で朝食を食べないんだ」
いわゆる「ブランチ」らしいが、毎日行きつけのレストランで朝食をとるのだ。
私には想像もできない暮らしぶりだ。
一度だけ、そのレストランでMと食事をした。
私もこんなすてきなレストランで毎日食事がしたいものだ。

Mには英語の先生がいて、プライベート・レッスンを受けていた。
私も英語を十分に話す機会があった方がいいということで、その先生を紹介してもらった。
ニュージーランド出身でイタリア人の奥様がいる優しい笑顔のライト先生。
一応、「レッスン」という名目だったが、私たちはもっぱら世間話をした。
ユーモアのセンスのある方で、ちょっと品のいいジョークやネタ話をたくさん持っていた。
私はいつも大笑いし、一生懸命メモをとった。
その後、どこに行ってもライト先生直伝のジョークを披露したが、大好評だった。

ライト先生のお宅に毎日伺うこともできなかったし、日中、1人で過ごすことが多かった。
時間をつぶすために、たまには地下鉄を使わずに延々と暑い日差しの中、歩いたこともあった。
迷子になったこともあった。でも、一人はそんなにいやではなくなくっていた。
ただ、一人でいると心配なことがひとつあった。
ロンドンで「イタリアの男にお尻をピンチ(つまむ)されないようにね。」と言われていたからだ。
「君はいい女だ」という意味だという。
私はいつも後ろを気にしながら歩いた(笑)。
もちろん、一度もそんなことはされなかったが、誰がいきなり見ず知らずの女性のお尻を
つまむというのだ。考えられない。許せない。
本当の話なんだろうか。それとも私がからかわれたのか。
でも彼らならやりそう。。。と思ってしまうのは実に失礼なことだ。

そして、ある日、Mの家にもう1人居候の仲間が増えることになる。
ニューヨーカーだった。





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ローマの休日 第5話

ニューヨークの大学で建築を学んでいるというカミールは、
夏休みにヨーロッパを1人で旅していた。
ローマに来る前はフランスにいたらしい。
Mのご両親の紹介というだけでMも会ったことはなかった。

10日ほどの滞在予定だったが、同じ居候の立場の人間が増えるのはうれしかった。
Mと私はテルミニ駅にカミールを迎えに行き、そのまま夕食を一緒に楽しんだ。
彼は少し疲れているように見えたが、一人旅の途中で私たちに出会い、
久しぶりに話し相手をつかまえたというように話しまくった。

カミールのご両親もまた離婚していた。どちらがどっちか忘れてしまったが、
確か、スペイン人とアラブ人だった。
彼のことを思い出すと、Cat Stevensの「Father and Son」が聞こえてくる。
彼はよくこの歌を聴いていた。その寂しそうな横顔は忘れられない。

仲間が増えたと言っても、カミールは目的を持ってローマに来ていた。
「何をしようかな」の私とは気合いが違う。
「一緒に出かけない?」なんて声をかけられるような雰囲気ではなかった。

彼は早速安いバイクを手に入れ、ローマ市内を走り回っていた。
彼のスケッチブックは様々な建造物のスケッチと細かい文字の走り書きで
みるみる埋まっていった。

ちょっと質問しただけで、軽く30分はレクチャーしてくれた。
専門的な知識のない私はちんぷんかんぷんだったが、それでも楽しかった。
何よりも目を輝かせて語り続けるカミールの顔を見ているのが好きだった。

Mもカミールもまだ夢の途中だった。
悩みながら、立ち止まりながら、振り返りながら、手探りで前に進もうとしていた。
みんな、若かった。






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